郭巨山の懸装品
胴掛は円山応挙の師匠の筆
郭巨山の第一装の左胴掛は唐の万代不朽の画聖である呉道子が描く龍が画面を抜け出て雲を呼び昇天する図で、同じく右胴掛は陳平が肉を分かつ故事を虎を飼う事で表現した図。両面とも天明五年(1785)に新調され、円山応挙の師、石田幽汀の下絵による。石田幽汀は狩野探幽の流れをくむ鶴沢派の画家で、狩野派に土佐派を折衷した装飾的な画風で禁裏絵師となり、法眼に叙せられました。
見送は応挙の孫
第一装の見送は文化十三年(1816)応挙の孫、円山応震の下絵による『唐山水仙人図綴織』で、唐山水鉄拐(てっかい)を主とした仙聖数人(蝦蟇(がま)・呂洞賓(りょどうひん)・帳騫(ちょうさい) ら)を高雅な趣で描き、応震が壮年の頃の作と思われます。
現在の胴掛は上村松篁画伯
傷みだした天明期の第一装胴掛に変わって近年の新調事業で上村松篁画伯の筆で御山四面を飾ることになり昭和五十三年(1978)桔梗(ききょう)、萩(はぎ)、朶(しだ)を描いた『秋草図綴錦』前掛を、昭和五十八年に祇園祭とゆかりの深い鷺と夏を表す杜若(かきつばた)の配色が絶妙な『杜若と白鷺図綴錦』左胴掛を、昭和六十二年に吉祥を表す鴛鴦が雪の下で春を待つ『雪持竹と鴛鴦図綴錦』右胴掛を、平成六年には『万葉美人に緋桃と菫(すみれ)図綴錦』見送を新調、御山の四面に春夏秋冬を表しています。
旧第一装見送は重文級
天明の大火の後復興のとき、寛政四年(1792)に東福寺より寄進された『林指峰寿叙文刺繍』見送は明国嘉靖三十年(1551)の銘記があり、現在京都国立博物館にて保管されています。
後掛は祇園祭懸装品で最初の風俗画
平成三年(1991)に新調した『阿国歌舞伎図』後掛は京都国立博物館所蔵の重要文化財を下絵に桃山初期の歌舞伎の観劇を描いた図で、祇園祭懸装品では最初の風俗画といえます。
その他の懸装品
新調事業に精力的に取り組む他、昭和五十四年に橋本循氏賦詠の漢詩「郭巨山」を裏千家鵬雲斎千宗室お家元様が揮毫した『郭巨漢詩文刺繍』見送、昭和五十六年に吉田光邦氏より19世紀初頭にトルコ系イラン遊牧民族カシュガルの製作による『イラン六英雄図』ペルシャ絨毯前掛、同年には皆川月華氏から『昇り龍図染彩』の寄贈を受け、毎年選んで使用しています。
『郭巨漢詩文刺繍』見送
人の守り行うべき道徳のみなもとは、天即ち自然の真理から出ているもので古の聖人や昔の知識人即ち賢人は、このことを次から次へと伝えてきたものである。道徳の中では親に孝養することが最も大切なことで、人間の行うことはそれぞれにいろいろな生き方、取り方があって途は異なるように見えても結局は孝行ということが一番根本でなければならぬ。そうした孝行の道は人が生まれながらにして見えていることで、これがすなわち自然であり、天である。漢の「郭巨」は家が甚だ貧乏であったが、孝心は厚く、老母に孝養するに心を砕いた。この至誠が天に感じたのか、地中から黄金が現れて郭巨に賜ったというめでたいしるしが誠に不思議で、奇妙なことであった。それは種々なる史書に載っている。かえりみるに、今日、現代の人心を察するのに、日常の守り行うべき道徳が、日に日にすたれ、くずれて行く。まことに嘆かわしいことだ。この郭巨の善行を見聞して、これを慕い行いたいと心を動かさないものがあろうか。
動かすであろう。
(昭和五十四年新調見送、漢学者橋本循賦詠、裏千家家元千宗室揮毫『郭巨漢詩文刺繍』より)