郭巨釜掘りのお話

郭巨山・郭巨釜掘りのお話

郭巨山は、京都祇園祭34基の山鉾の一つで、中国史話「二十四孝」の一人『郭巨釜掘り』の故事にちなんで造られているので、昭和初期まで『釜掘り山』とも呼ばれていました。

物 語

後漢の人郭巨は貧困のため老母と三歳になる男子を養えなくなり、悩んだ郭巨は遂に「家貧乏にして児を養育する事難し、是を育てんと欲すれば老親への孝の妨となる。又、老母が食を割いて孫に給与せらるる事も孝のさまたげとなる。故に今、汝と共に子を捨て、母を養わん。児は再び有るべし、母は再び得べからず。」と決心を妻に告白しました。

郭巨山では“黄金一釜”を金の釜で表現し、山洞に乗せています

夫の悩む姿を見続けていた妻もその言葉に服したので、郭巨は児を埋めるべく地を掘り始めました。郭巨が鍬を振り降ろすと地中より黄金一釜(釜は当時の体積単位で六斗四升。五升の説もあります)が出てきました。一札あって「天賜孝子郭巨、官不得奪、人不得取※」と記され、母には孝養を尽くし、子を養えたというお話です。
※孝行な郭巨に天からこれを与える 他人は盗ってはいけない という意味

原文

漢。郭巨家貧。有子三歳。母嘗減食與之。巨謂妻曰。貧乏不能供母。子又分父母之食。盍埋此子。及掘坑三尺。得黄金一釜。上云官不得取。民不得奪。有詩為頌。詩曰 郭巨思供親。埋兒為母存。黄金天所賜。光彩照寒門。

中国二十四孝

鎌倉時代から室町時代にかけて下京の町衆は二十四孝などの中国故事、能、狂言、謡、神話などを教養として嗜み、山や鉾の趣向に取り入れたようです。「二十四孝」は中国古来の代表的孝子24人の逸話を集めたもので、一般に親に対する子の一方的献身を説き、郭巨の他には、親の喜びのために七十歳になっても赤子のまねをする周の老菜子、親の食欲のために厳冬に筍を捜して泣く晋の孟宗、氷上に寝て鯉をとろうとする晋の王祥などがあります。写真は『女大学』という書籍で江戸時代に武家に嫁ぐ女性のために作られた教養書です。この中にも郭巨釜掘りのお話が出てきます。