■お祭りの概要

5.八坂神社

市民からは親しみを込めて「祇園さん」と呼ばれる八坂神社は北緯35度線が通過する四条通の東端、東山の地に南向きに鎮座し、主祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)で、7月17日の神幸祭、同24日の還幸祭の中御座、東御座、西御座の神輿に神霊が移される。

古来、牛頭天王を祀る祇園社といわれ、仏教色の濃い社だったが明治の神仏分離で八坂神社となる。八坂とは山城国(やましろのくに)愛宕郡(おたぎぐん)八坂郷(やさかごおり)の地名で、祇園坂、長楽寺坂、下河原坂、法観寺坂、霊山坂、山井坂、清水坂、安寧坂をさし、天慶5年(942)に奉納された「神風の八坂の里と今日よりぞ君か千歳をはかり初むる」の歌もある。

斉明天皇2年(656)の創建といわれ、7月の祇園祭と大晦日の白朮(おけら)詣りが有名。境内には蘇民将来を祀る疫神社、北向蛭子社、美御前社の他、数柱の末社があり、本殿。西楼門、北向蛭子社、南楼門前の石の鳥居は重要文化財。本殿は龍神の池の上に建ち、二条城南の神泉苑とつながっているという。また、四神相応の青龍の位置にありこれらのため、祇園祭の懸装品には龍の図案が多く用いられている。

北に知恩院、青蓮院、平安神宮と続き、東の円山公園は桜の名所。南は東大谷、八坂の塔、高台寺、清水寺、西大谷へ。西側は祇園の歓楽街と観光には事欠かない。
四条通突き当たりの西楼門が印象的だが、正門は南楼門。

神紋は五瓜に唐花紋、三つ巴紋、祇園守紋で五瓜に唐花紋はキュウリの切り口に似ていることから八坂神社の氏子は祇園祭中はキュウリを食べないという言い伝えもある。


6.粽(ちまき)

素戔鳴命と牛頭天王の伝説から、蘇民将来の子孫は疫病から免れられ、その目印に茅の輪を付けさせたことが起源とされ、「蘇民将之子孫也」の御札が添えられる。

古代中国では五月五日の端午節は最も災難に遭いやすい日とされ、この日の厄と邪気を祓うため、米や餅を茅萱で巻き上げた粽を作っていた。奈良時代にわが国に伝来してからは神仏に供えられ、後に魔除けや疫病除けに飾られたり、祝いの日の食物になり、旧暦五月五日の田植え祭などで広まった。使用される葉は茅、茅萱、真菰、蘆、菖蒲、栴檀、月桃、笹などで、形もさまざま。

祇園祭の厄除けの粽は和菓子の「ちまき」の形だが一年の厄除けのお守りのため、笹を解いても何も入っていない。各山鉾で由来に因む縁起物が蘇民将来之子孫也の御札と共に添えられ、郭巨山の小判、黒主山の桜、太子山の杉の葉、霰天神山と保昌山の梅の花などが有名。

寄進を受けた山鉾町は笹で粽を作り、厄除けのお守りとして返礼する。玄関に吊るされ一年の役目を終えた粽は授与された山鉾に返納するか、八坂神社の納札所に納めるが、節分に地元の社寺に納めてもよい。

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